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さきほど更新した、私がふくしまにくらすということ
昨夜、Facebookの中で初めて読んだのですが
(★~★ 本文より抜粋)
★
いくら「安全」と言われても、
私は怖い。私は怒っています。そして私は不安です。
(中略)
「事実」として提示された情報が
何度も覆されたことによる恐怖や怒りや不安です。
その率直な気持ちは、誰が否定しても私の心の中に存在しているのです。
そして、その感情を認めてこそ、いつかしっかり昇華できるものと信じています。
★
このように ↑ 書かれていました。
わたしには、推し量ることしか(・・・すら)できません。
が、根底に不信感があるということは、
とっても脅かされる状況ではないかと思います。
信頼できる情報があれば。。。
信頼できる関係(政府)があれば。。。
現状は同じだとしても、何かが違ったのかもしれません。
考えてみてください。
自分や大切な人の身体・生命を危険にさらされて、
二転三転どころか、コロコロ情報が変わって、
後になって、隠されていた情報が出てきて、
どの情報を、いったい何を信じたらいいのか。
いま、自分で、自分と大切な人を守るしか、ないのです。
いま、自分で、自分と大切な人を守れるのかも、わからないのです。
そういったところで、何も現状は変わりません。
誰も、何も分かっていなかった! のでしょう。
誰も、当事者・責任者がいなかった! のでしょう。
誰も、意識をもっていなかった! のでしょう。
誰も、疑問すら持たなかった! のでしょう。
わたしも! です。
いま、わたしにできることは
関心を持つ! ことです。
他人事にしない! ことです。
人と関わっていく! ことです。
正義を叫ぶのではありません。
わたし自身の宣言です。
ここから生きるための宣言です。
ここを生きるための宣言です。
いまに生まれてよかった。
にほんに生まれてよかった。
ありったけの力を込めての宣言! ではなく、
自分の中心から湧きあがる熱さと感謝 です。