☆彡 軽やかな日々のために ☆彡
オーラソーマ最新情報・IRISからのお知らせ・ひとりごと・・・など、徒然なるままに載せてます♪
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オーラソーマの新しいアプローチ
オーラソーマとカバラ・72の天使
輝くボトルの色
ヘブライ語の神聖な文字
そして音・・・
色と音のバイブレーションが
自分自身に働きかけます。
詳細は こちらへ
6月スタートの週末コースのために
新しいテキストが届きました。

コンパクトに軽くなって
ちょうどいいサイズかも
来週金曜日の満月は
と~~~ってもパワフルな満月の模様☆彡
5月28日(金)朝8:07 ・・・アストロアーツ参照
そして、ほんの数時間後
天王星が牡羊座に移行するという
大イベントを迎えます。
6月始めには
発展拡大の星・木星も牡羊座入りし
大天使ツァフキエルのサポートとともに
始まりの予感
に いま満ちています。
IRIS初の72の天使コースは
パワフルな初まりのエネルギーを受けつつ
その満月からの流れも受けつつ
6月の新月からNEXT満月までの4日間。
みんなで光を活性化させましょう\(^o^)/
オーラソーマとカバラ・72の天使
輝くボトルの色
ヘブライ語の神聖な文字
そして音・・・
色と音のバイブレーションが
自分自身に働きかけます。
詳細は こちらへ
6月スタートの週末コースのために
新しいテキストが届きました。

コンパクトに軽くなって
ちょうどいいサイズかも

来週金曜日の満月は
と~~~ってもパワフルな満月の模様☆彡
5月28日(金)朝8:07 ・・・アストロアーツ参照
そして、ほんの数時間後
天王星が牡羊座に移行するという
大イベントを迎えます。
6月始めには
発展拡大の星・木星も牡羊座入りし
大天使ツァフキエルのサポートとともに


IRIS初の72の天使コースは
パワフルな初まりのエネルギーを受けつつ
その満月からの流れも受けつつ
6月の新月からNEXT満月までの4日間。
みんなで光を活性化させましょう\(^o^)/
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B107 大天使ツァフキエルの追加メッセージが届きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ツァフキエルについての更なる洞察
チャリスの井戸に於て、4月11日

キリストのビーイングの目覚めを象徴する赤血球が
私たちの内側で揺り起こされる時がやってきました。
内なる神、全知と存在を具現するツァフキエルが、
はるか彼方からやってきて、
内側から私たちの内面に現れます。
さらに近づいて、ツァフキエルは
私たちの仮面の眼差しをしっかりと凝視します。
液体のターコイズの光のベールのように浮かんで、
ゆっくりと回転しながらさらに近づき、
優しく私たちを背後からつつみます。
扉が開き、ダムが崩壊すると、
長い間せき止められていた水が、
邪魔されることなく流れ始めます。
私たちの足元で、ターコイズのボウルが
それを受け止め、虹の球体を形作ります。
無数のクリスタルのしずくが、
かつてからの暗闇の日々に燃焼されることなく、
見せかけの光の不在の上に降りそそいで、
そこに光が夜明けを告げ、
ターコイズがオパールのようにきらめきます。
水は意識の背後に横たわる真実。
炎は意識を愛として活性化します。
洗礼、目覚めの炎が唸り声をあげ、
ツァフキエルが現実のものとなります。
そして今すべきことは、
何世紀にもわたった無価値感を燃やしつくすことだけです。
燃え尽くされた灰が吹き飛ばされ、
風によってきれいに洗われるまで、
ツァフキエルは凛として立っています。
そして現実のものとなるその瞬間に、
彼女は星の光の中に勇気を見いだします。
私たちは内側から外を見つめ、
初めてこの言葉を聞きます、
「私の瞳を通して見なさい、
私の見るものを見なさい、
そして私の愛するものを愛しなさい。」
凍りついた水が溶けるにつれて羽が現われ始め、
解き放たれるように最後の抵抗が緩みます。
私たちの祖先がDNAの螺旋状のパターンに
スペースを作りおいたことによって、
いま紐解かれ始めたことが実現します。
もうそこには無価値感はなく、
あるのは深い感謝の念だけです。
応答への呼びかけに対する恐れからの解放と、
活性化された自己の真の大きさからの応答。
そして今、繊細で強靭なクモの糸のように、
熱意の糸が広がり伸びてしなやな橋を
織り成し始めます。
「汝の意志」が私の意志‐私たちの意志となり、
私たちは道となり、そして道が私たちとなります。
ツァフキエルが
あらゆるターコイズの色相で自身をあらわす時、
春の洗礼が今ここに始まります。
全ては与えられ、全てがなされ、
私たちの内側で既に一対となって存在する愛と真実が、
あらゆるレベルで一つになります。
この二つは、どこであろうと一対となってゆくでしょう。
それによって人は、自らに戻ります。
生きているキリストのエネルギーが、
私たちの中で、
私たちのために、
私たちとして呼吸し、
第二身体を構築するとき、
真実の人生、
全体なる人生、
目的を分かち合った人生の夜明けが始まります。
こうした赤血球の目覚めによって、
この人生は今までの人生ではなくなります。
With Love and Light
チャリスの井戸に於て、4月11日

キリストのビーイングの目覚めを象徴する赤血球が
私たちの内側で揺り起こされる時がやってきました。
内なる神、全知と存在を具現するツァフキエルが、
はるか彼方からやってきて、
内側から私たちの内面に現れます。
さらに近づいて、ツァフキエルは
私たちの仮面の眼差しをしっかりと凝視します。
液体のターコイズの光のベールのように浮かんで、
ゆっくりと回転しながらさらに近づき、
優しく私たちを背後からつつみます。
扉が開き、ダムが崩壊すると、
長い間せき止められていた水が、
邪魔されることなく流れ始めます。
私たちの足元で、ターコイズのボウルが
それを受け止め、虹の球体を形作ります。
無数のクリスタルのしずくが、
かつてからの暗闇の日々に燃焼されることなく、
見せかけの光の不在の上に降りそそいで、
そこに光が夜明けを告げ、
ターコイズがオパールのようにきらめきます。
水は意識の背後に横たわる真実。
炎は意識を愛として活性化します。
洗礼、目覚めの炎が唸り声をあげ、
ツァフキエルが現実のものとなります。
そして今すべきことは、
何世紀にもわたった無価値感を燃やしつくすことだけです。
燃え尽くされた灰が吹き飛ばされ、
風によってきれいに洗われるまで、
ツァフキエルは凛として立っています。
そして現実のものとなるその瞬間に、
彼女は星の光の中に勇気を見いだします。
私たちは内側から外を見つめ、
初めてこの言葉を聞きます、
「私の瞳を通して見なさい、
私の見るものを見なさい、
そして私の愛するものを愛しなさい。」
凍りついた水が溶けるにつれて羽が現われ始め、
解き放たれるように最後の抵抗が緩みます。
私たちの祖先がDNAの螺旋状のパターンに
スペースを作りおいたことによって、
いま紐解かれ始めたことが実現します。
もうそこには無価値感はなく、
あるのは深い感謝の念だけです。
応答への呼びかけに対する恐れからの解放と、
活性化された自己の真の大きさからの応答。
そして今、繊細で強靭なクモの糸のように、
熱意の糸が広がり伸びてしなやな橋を
織り成し始めます。
「汝の意志」が私の意志‐私たちの意志となり、
私たちは道となり、そして道が私たちとなります。
ツァフキエルが
あらゆるターコイズの色相で自身をあらわす時、
春の洗礼が今ここに始まります。
全ては与えられ、全てがなされ、
私たちの内側で既に一対となって存在する愛と真実が、
あらゆるレベルで一つになります。
この二つは、どこであろうと一対となってゆくでしょう。
それによって人は、自らに戻ります。
生きているキリストのエネルギーが、
私たちの中で、
私たちのために、
私たちとして呼吸し、
第二身体を構築するとき、
真実の人生、
全体なる人生、
目的を分かち合った人生の夜明けが始まります。
こうした赤血球の目覚めによって、
この人生は今までの人生ではなくなります。
With Love and Light
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少々スペースを取り、段落を変えています。
全文が理解できなくても、
何度かくりかえし読んでいただくことで
いま一番必要なキーワードはきっとみつかるでしょう。
オリジナルのメッセージはこちらでご覧いただけます。
http://www.asiact.org/downloads/b107/Japanese__More_thoughts_on_Tzaphkeil.html
全文が理解できなくても、
何度かくりかえし読んでいただくことで
いま一番必要なキーワードはきっとみつかるでしょう。
オリジナルのメッセージはこちらでご覧いただけます。
http://www.asiact.org/downloads/b107/Japanese__More_thoughts_on_Tzaphkeil.html
おおそうだ、
愛は無限だ。
ひとにやさしい言葉を
あたえるために、
わたしの言葉は
貧弱にはならない。
ひとに好意をよせるために、
わたしの好意は
減るものではない。
たがいに争い、
たがいに憎み、
たがいに恨み合っていて、
この世が、
いつのときか平和になろう。
「生きがいの探究」出口日出磨著より
実家から届いたスイカの箱とともに
一枚の紙が一緒に送られてきました。
宗教法人 大本のパンフレットにあった言葉。
信者ではありませんが、
いい言葉は響きます。
心に響くものは余韻が残ります。
その余韻は
次の何かにつながります。
やさしさとは貧弱ではない。
形なきものは減るものでもない。
そしてたぶん。。。
形あるものですら、減っているようにみえて
実は減ってはいないのかもしれない。
減ったものがあれば、増えるものがある。
失くしたものがあれば、得たものがある。
形あるものを失くして
形なきものを得たかもしれない。
形あるものを求めて
形なきものを見失うかもしれない。
「そう」見えるけど
本当に「そう」だとは限らない。
「そう」見えなくても
実は「そう」だったりもする。
B104:大天使カマエルのメッセージ

信頼せよ。
そしてすべては完全であると知れ。
すべてがそれと反対に見える時ですら、
いくら試みても思いどおりにならない時ですら、
何事もただあるがままに存在する
すべては見たままとは限らない。
この惑星はなかなかおもしろい!
愛は無限だ。
ひとにやさしい言葉を
あたえるために、
わたしの言葉は
貧弱にはならない。
ひとに好意をよせるために、
わたしの好意は
減るものではない。
たがいに争い、
たがいに憎み、
たがいに恨み合っていて、
この世が、
いつのときか平和になろう。
「生きがいの探究」出口日出磨著より
実家から届いたスイカの箱とともに
一枚の紙が一緒に送られてきました。
宗教法人 大本のパンフレットにあった言葉。
信者ではありませんが、
いい言葉は響きます。
心に響くものは余韻が残ります。
その余韻は
次の何かにつながります。
やさしさとは貧弱ではない。
形なきものは減るものでもない。
そしてたぶん。。。
形あるものですら、減っているようにみえて
実は減ってはいないのかもしれない。
減ったものがあれば、増えるものがある。
失くしたものがあれば、得たものがある。
形あるものを失くして
形なきものを得たかもしれない。
形あるものを求めて
形なきものを見失うかもしれない。
「そう」見えるけど
本当に「そう」だとは限らない。
「そう」見えなくても
実は「そう」だったりもする。
B104:大天使カマエルのメッセージ

信頼せよ。
そしてすべては完全であると知れ。
すべてがそれと反対に見える時ですら、
いくら試みても思いどおりにならない時ですら、
何事もただあるがままに存在する
すべては見たままとは限らない。
この惑星はなかなかおもしろい!
今夜は満月。
太陽と月が向き合うとき。
・・・21:18
さそり座の満月。
さそり座は水のサイン。
水は感情であり
隔たりなく流れていき
混ざり合い・融け合う。
昼と夜。
明と暗。
陽と陰。
太陽と月。
意識と無意識。
混ざり合うことがないような
両極に思える2つのものが
壁を超え、融合し、調和するとき。
自分の内側で闘いがなくなったら。
葛藤していたものが融合していくなら。
いったいどんな世界が見えるのだろう?
オーラソーマのボトルを塗ることは
内なる両極の調和・融合に働きかけること。
水(下層)と油(上層)を
やさしくシェイクし混ぜて塗ります。
意識と無意識をつなぎ。
右脳と左脳と調和させ。
男性性と女性性を融合させ。
光と闇の統合をサポートします。
自分が全体になるために。
自分の統合のために。
自分が自分にくつろぐために。
今夜の満月には
逆行中の水星が絡んできます。
なんだろう?
過去には理解できなかったもの。
過去に誤解が生じたもの。
そのときにはそうするしかできなかった。
そのときにはそうとしか思えなかった。
かさぶたにはなってるけど
治りきってはいない傷。
古い、でも深い部分の傷。
何らかの壁になっている
そんな過去の古い痛みに
今夜まぁるく満ちる月は
やさしい光を当てるのかな。
もう一度見るための光。
痛みを思い出すためでなく
いまはもう痛まないことを知るために。
その痛みが、その苦しさが
少しずつ思いやりに変わっていくために。
先日の山中湖のコースで
コーラルのポマンダーに共鳴して
自然と涙があふれる一方で
もう一方の自分は
「子供はうれしいとき泣かないよね?」
「なんで大人はうれしくて泣くんだろ?」
と思ってました。
コースの仲間いわく
大人になるにつれて
苦しみや哀しみを知っているから
うれしくても涙がでちゃんだよ
そうだね。納得。
今夜のまぁるい月を想いながら
そんなことを思い出しました。
太陽と月が向き合うとき。
・・・21:18
さそり座の満月。
さそり座は水のサイン。
水は感情であり
隔たりなく流れていき
混ざり合い・融け合う。
昼と夜。
明と暗。
陽と陰。
太陽と月。
意識と無意識。
混ざり合うことがないような
両極に思える2つのものが
壁を超え、融合し、調和するとき。
自分の内側で闘いがなくなったら。
葛藤していたものが融合していくなら。
いったいどんな世界が見えるのだろう?
オーラソーマのボトルを塗ることは
内なる両極の調和・融合に働きかけること。
水(下層)と油(上層)を
やさしくシェイクし混ぜて塗ります。
意識と無意識をつなぎ。
右脳と左脳と調和させ。
男性性と女性性を融合させ。
光と闇の統合をサポートします。
自分が全体になるために。
自分の統合のために。
自分が自分にくつろぐために。
今夜の満月には
逆行中の水星が絡んできます。
なんだろう?
過去には理解できなかったもの。
過去に誤解が生じたもの。
そのときにはそうするしかできなかった。
そのときにはそうとしか思えなかった。
かさぶたにはなってるけど
治りきってはいない傷。
古い、でも深い部分の傷。
何らかの壁になっている
そんな過去の古い痛みに
今夜まぁるく満ちる月は
やさしい光を当てるのかな。
もう一度見るための光。
痛みを思い出すためでなく
いまはもう痛まないことを知るために。
その痛みが、その苦しさが
少しずつ思いやりに変わっていくために。
先日の山中湖のコースで
コーラルのポマンダーに共鳴して
自然と涙があふれる一方で
もう一方の自分は
「子供はうれしいとき泣かないよね?」
「なんで大人はうれしくて泣くんだろ?」
と思ってました。
コースの仲間いわく
大人になるにつれて
苦しみや哀しみを知っているから
うれしくても涙がでちゃんだよ
そうだね。納得。
今夜のまぁるい月を想いながら
そんなことを思い出しました。
プラクティショナースキルズコース
1年前の春に始まり、2回目の今年。
今回のコースの始まりに合わせたかのように
水星が逆行に転じました。
去年の後半、てんびん座に移行した土星も
今年初めから逆行しており、
水星逆行と同じようなタイミングで
再び乙女座に戻りました。
前に進むのではなく、後ろ向きに進む。
(実際にはそう見えるだけですが)
逆行は忘れ物を取りに行くようなもの。
と、いう言い方もします。
そんなことも関係するのか、しないのか
今回、コースでの体験を振り返りながら
いつしかこれまでの自分の歩みを
重ね合わせていたようです。
その中で見えたもの。
これまでの自分自身の道のりを
『光と影のアート』 のようだと思いました。
はじめは外側の誰かに光を当てました。
輝いてみえる誰かと比べて、
自分には影をみていました。
オーラソーマを学ぶうちに
いつしか外側に向けていた光を
少しだけ自分の内側に当てるようになり
自分の中の光と影に向き合い始めました。
影を見るのは心地よくはなかったけど
少しずつ影を許し
少しずつ自分を許し。。。
やがて自分の中の二つの側面
<光と影>の新たな創造が始まりました。


光と影の創造 


あまり氣づいていませんでしたが、
以前から私は立体好き。。。だったみたい。


平面上の紙に人の顔を描くとき、
どうしても納得がいかないのが「鼻」でした。
なぜ鼻を描けないのか。。。
絵が下手だからだと思っていましたが、
立体を平面にしたときの違和感。
それが「鼻」を描けない、ひとつの理由でした。
形在るものにライトを当てると
あるところは明るく見え
あるところは暗く見えます。
光は明るさを、影は奥深さを創ります。
自分自身に光を当てたとき
内側の光と影、凸凹を許したとき
光と闇・凸凹はひとつとなり
アートとなり始めました。
そして今回のコースで
みんなが「つながり」を思い出したとき
それぞれの光と影・凸凹が
同じではないユニークさが
さらに大きなアートになりました。
そんな創造の始まり。
光と影の織りなすアート。
コースの一週間、
仲間たちとすごした濃密な時間。
それぞれが内側に光を当てていくプロセスに
自分の成長のプロセスを感じました。
前に進むために後ろを振り返る。
ひとつになるために2つに分かれてみる。
貧しさの中に幸せを見いだし
豊かさの中に虚しさを感じる。
光を当てると影が浮かび上がり
暗闇の中でまた光を見つける。
苦手だったことが
実は一番求めていたものだったり。
矛盾に見えることが真実につながったり。
映画もテレビも3Dの時代になり
奥行きが描けるようになってきました。
表面に見えているものだけでなく
より奥深く自分を見る。
奥行きを創るには影も必要。
あるいは別の角度から視点を変えて見る。
そんな流れもつながるのか
私の単なるこじつけか。
いずれにしても
光と影のあるこの世界で
自分の人生を創造するアートは
実はとてもとても面白いかもしれません。
1年前の春に始まり、2回目の今年。
今回のコースの始まりに合わせたかのように
水星が逆行に転じました。
去年の後半、てんびん座に移行した土星も
今年初めから逆行しており、
水星逆行と同じようなタイミングで
再び乙女座に戻りました。
前に進むのではなく、後ろ向きに進む。
(実際にはそう見えるだけですが)
逆行は忘れ物を取りに行くようなもの。
と、いう言い方もします。
そんなことも関係するのか、しないのか
今回、コースでの体験を振り返りながら
いつしかこれまでの自分の歩みを
重ね合わせていたようです。
その中で見えたもの。
これまでの自分自身の道のりを
『光と影のアート』 のようだと思いました。
はじめは外側の誰かに光を当てました。
輝いてみえる誰かと比べて、
自分には影をみていました。
オーラソーマを学ぶうちに
いつしか外側に向けていた光を
少しだけ自分の内側に当てるようになり
自分の中の光と影に向き合い始めました。
影を見るのは心地よくはなかったけど
少しずつ影を許し
少しずつ自分を許し。。。
やがて自分の中の二つの側面
<光と影>の新たな創造が始まりました。






あまり氣づいていませんでしたが、
以前から私は立体好き。。。だったみたい。


平面上の紙に人の顔を描くとき、
どうしても納得がいかないのが「鼻」でした。
なぜ鼻を描けないのか。。。
絵が下手だからだと思っていましたが、
立体を平面にしたときの違和感。
それが「鼻」を描けない、ひとつの理由でした。
形在るものにライトを当てると
あるところは明るく見え
あるところは暗く見えます。
光は明るさを、影は奥深さを創ります。
自分自身に光を当てたとき
内側の光と影、凸凹を許したとき
光と闇・凸凹はひとつとなり
アートとなり始めました。
そして今回のコースで
みんなが「つながり」を思い出したとき
それぞれの光と影・凸凹が
同じではないユニークさが
さらに大きなアートになりました。
そんな創造の始まり。
光と影の織りなすアート。
コースの一週間、
仲間たちとすごした濃密な時間。
それぞれが内側に光を当てていくプロセスに
自分の成長のプロセスを感じました。
前に進むために後ろを振り返る。
ひとつになるために2つに分かれてみる。
貧しさの中に幸せを見いだし
豊かさの中に虚しさを感じる。
光を当てると影が浮かび上がり
暗闇の中でまた光を見つける。
苦手だったことが
実は一番求めていたものだったり。
矛盾に見えることが真実につながったり。
映画もテレビも3Dの時代になり
奥行きが描けるようになってきました。
表面に見えているものだけでなく
より奥深く自分を見る。
奥行きを創るには影も必要。
あるいは別の角度から視点を変えて見る。
そんな流れもつながるのか
私の単なるこじつけか。
いずれにしても
光と影のあるこの世界で
自分の人生を創造するアートは
実はとてもとても面白いかもしれません。