☆彡 軽やかな日々のために ☆彡
オーラソーマ最新情報・IRISからのお知らせ・ひとりごと・・・など、徒然なるままに載せてます♪
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☆彡 内なる闘いの終わるとき ☆彡
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2009年12月14日 新しいボトルが誕生しました。
ボトルの流れを見ると、102番以降誕生したすべてのボトルには、
何らかの新しい要素が加わっています。
私たち人類に準備ができたとき、新しいボトルが誕生します。
新しいボトルが生まれる時、私たちの中で、
新しい意識がより明らかになっていきます。
私たち一人一人の内側で何かが開かれつつあることを
それぞれの内側で明らかになりつつある何かをを
私たちは自分自身の内側からやってくる内なる声を
どのくらい信頼し、どれくらい許しているのでしょうか?
B107・大天使ツァフキエル誕生のメッセージに、こんな一節があります。
(※ブルーの斜体文字は、誕生のメッセージからの引用・抜粋です)
困難さが表面化され剥き出しにされたと感じる時、
実はそれらは癒されることを求めているのです。
・・・ 中略 ・・・
私たちが、ライオンハートを持つようになるにつれて、
困難や出来事や状況に抵抗するのではなく、それらを許す勇気をもつとき、
私たちはそれらを、新しい生命が出現する前に起きる
必要なエネルギーの収縮とみなすようになります。
ライオンハートとは、私たちの中心・奥深くにあるゴールドの存在・スターと関連します。
2010年1月1日、満月の月食(スペシャルな満月)からスタートしました。
1月15日は今年初めの新月、これまた日食というスペシャルな新月でした。
1月30日には、珍しいひと月2度目の満月を迎えます。
太陽の光は意識に関連し、闇を照らす月の光は無意識に関連します。
満ちた月『満月』はフルパワーで闇に光を投げかけます。
年頭に私たちが誓いを立てるように、いつも始まりに意図があるならば、
今年の始まりの空には『よりパワフルに闇(=無意識)を照らす月の光があった』
ということになるでしょう。
個人的に、また占星術的にも、2010年は月食というインパクトの強い始まりが
象徴するように、後に振り返ってみれば、自分の人生にとって、より印象的な年
となる地点かもしれません。
1月15日の新月のすぐ後、金星・木星がそれぞれ次のサインへお引越しました。
続いて20日には、太陽もやぎ座からみずがめ座へと移りました。
オーラソーマではサイン(星座)を色に置き換えます。
惑星が次のサインへお引越しすると、テーマが変わり、色が変わり、風が変わります。
毎月サイン(=テーマ)を変えていく太陽や、太陽に近い金星は、
私たちにとって、個人的な、より日常的・身近に感じられるテーマを扱います。
一年ごとにサインを移行する木星は、少し大きなスパンで、年間のテーマに関連し、
太陽から遠い惑星ほど、より大きな、より集合的な人類共通のテーマに関連します。
今回移行した惑星たちは、引越しと同時に、より外側の惑星・土星や、
一番遠い冥王星に関わりはじめました。
土星はきちんと向き合うべきもの・努力すべきものを目の前に差し出す、
厳しくやさしい真の愛の星。
一番遠い惑星・冥王星は軌道が大きく、とってもゆっくり動くので、
みんなに共通する、集合的なテーマ・大きな時代を象徴するテーマと関連します。
星の動きに関連させて最近の自分をかえりみると、
他者と関わる際の自分では氣づいていない無意識のクセ、思考や感情のパターン、
コントロールや葛藤などが、より意識に浮上してきているように感じます。
苦しみというよりは、「こんなにあったんだ」という驚きが先にやってきています。
苦しまずに、ただ見ることができるのは、オーラソーマを学んできた自分の、
大きな成果といえます。
今明らかになってきているものは、新ボトルの誕生にも関係しているように思います。
去年一年、『あらゆる状況の中で、いかにくつろぐことができるか』が
個人的テーマになっていましたが、年明けからのB107番ボトルとのワークが、
よりサポートになっているのでしょう。
新しいものが生まれてくる前に、自分のもつ古いパターンが理解される必要。
嫌うこと・押しやることではなく、ただ理解し、自分が意識的になることで、
これまで無意識だった古いパターンに振り回されることが少なくなるでしょう。
新しくなるための脱皮のとき。
この変化の中で、自分がどれだけくつろいでいられるだろう。
この葛藤の中にいる自分を、どれくらい許すことができるだろう。
許すこと・あるがままに認めることは、とても大きな変化を促します。
完全である必要はありません。
どんなに少しずつでも、どこにフォーカスしているかが、とても大切です。
私たちのもっとも貴重な生得権である愛それ自身を侵害する恐れや、不本意さ、
恥や、無価値観に対して、力む必要がなくなったときに自然に表現される
ビーイングの軽やかさの愛なのです。
(B107番 大天使ツァフキエル誕生 のメッセージより)
新しい在り方のためのチャンスが、今やってきていることを感じている今日この頃です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<葛藤>について思うこと。。。つれづれなるままに書いてみました。
それぞれの色にはそれぞれの葛藤があり、
それぞれの人にもそれぞれに葛藤があると思います。
「葛藤」 を辞書で調べてみました。
この言葉の由来は、字のごとく、葛(かずら)や藤のつるがもつれからむことから。
1.もつれ、いざこざ、悶着、あらそい
2.心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、
その選択に迷う状態。
簡単にいえば葛藤とは、自分の内側で何かと何かが闘っている状態なのです。
葛藤を『色』で表わせば、青 と赤 がまじりあったVioletといえるでしょう。
Yesの青 と Noの赤 内側で何かに NO! を言っている状態。
そして NO! を言っても、どうにもならない膠着状態。
相反するもの。思考の青 と 行動の赤
思考と感情、または行動のギャップかもしれません。
自分のことではなく、自分ではどうすることもできないことに、
思い煩っているときもあるでしょう。
どんなものであれ、葛藤=闘いながら、同時にくつろぐことは難しいでしょう。
そこに『ある』ものに、Noを言っても、変わりません。
どれだけ押しやろう、嫌っても、『ある』ものをなくすことはできないのです。
もし、その葛藤があることを許せるなら・・・
もし、その葛藤の中でもくつろいでいられるなら・・・
もし、その葛藤をきちんと見つめられるなら・・・
とても貴重な変容のチャンスとなります。
自分が何に対してNoを言っているのか。
自分が何にこだわっているのか。
「自分」だと思っている「自分」を越えていく。
古い概念や思い込み、アイデンティティを手放していく。
自分の中心に、真のくつろぎに向かうための、大きな成長のチャンスとなりえるでしょう。
私たちは何に対して『No!』を言い、押しやりたくなるのだろう?
自分自身のネガティビティ?
見たくない・向き合いたくない部分?
頭と心・思考と感情のギャップ?
何かがうまくできない自分?
ちゃんとしていない自分?
それとも、思い通りにならない目の前の現実?
言うことを聞かない相手に?
それとも・・・・・?
葛藤を感じるとき、いままでの私ならどうしていたでしょう?
落ち込んだり、イライラしたり、他のことでごまかそうとしたり、
なんとかコントロールしようとしたり。
自分が葛藤していることに氣づいたとき、
ちょっとだけ立ち止まり、ちょっとだけ深呼吸して、
自分が葛藤しているのを、すこし距離をおいて見てみませんか。
たとえば、紙に思いつくまま、考えなど書き出すのもいいでしょう。
左手で書きなぐるように色を塗り、ただ見つめるのもいいでしょう。
もちろんオーラソーマのボトルと向き合い、
ボトルとワークすることはとっても助けになります。
~~~ひそかに、ささやかにオーラソーマ・アピール(^_-)-☆
自分自身に意識的に向き合うための、あなたらしい方法を見つけてみてください。
葛藤している自分を許してしてみませんか?
葛藤している自分にくつろいでみませんか?
葛藤することはそんなに悪いことばかりでないかもしれません。(長引くとストレスになります)
自分の葛藤が思わぬチャンスをくれるかもしれません。
いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかという概念を超えて。。。
本当はどうしたいのか、本当に望んでいることはなんなのか、
これまでよりもはっきりと見えてくるかもしれません。
繰り返しますが、完全・完璧である必要はありません。
どんなに少しずつでも、どこにフォーカスするかによって変化します。
いつも、自分がどこにフォーカスしているかに氣づいていることは、とても大切です。
オーラソーマのコースの中で「混乱と友達になる」という話をしますが、
「葛藤とうまくつきあう」のも悪くはないかもしれません。
困難さが表面化され剥き出しにされたと感じる時、
実はそれらは癒されることを求めているのです。
・・・ 中略 ・・・
私たちが、ライオンハートを持つようになるにつれて、
困難や出来事や状況に抵抗するのではなく、それらを許す勇気をもつとき、
私たちはそれらを、新しい生命が出現する前に起きる
必要なエネルギーの収縮とみなすようになります。
・・・ 中略 ・・・
力む必要がなくなったときに自然に表現される、ビーイングの軽やかさの愛
こだわっていることを手放す・・・ことにこだわらないよう。
何かをすることに、つい力んでしまう自分自身に、ただ氣づけばいいのです。
葛(かずら)も藤のつるも、うまく編めばすてきなバスケットになります。
物は使いよう!! 葛藤は、やがては大きな器に成長するかもしれません。
ツァフキエルは、私たちの人生の選択において
どれだけハートに留意するかを決定する、
愛と真実への問いかけを表面にもたらします。
私たちは自分のすることを愛しているでしょうか
それとも自分の愛する以外のことをしているでしょうか
あるいは自分自身を愛していないために、
自分のすることに愛をもたらせないでいるでしょうか。
この一年が、さらなる輝きとくつろぎに向かう、記念すべき年になりますように☆彡
☆彡 内なる闘いの終わるとき ☆彡
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2009年12月14日 新しいボトルが誕生しました。
ボトルの流れを見ると、102番以降誕生したすべてのボトルには、
何らかの新しい要素が加わっています。
私たち人類に準備ができたとき、新しいボトルが誕生します。
新しいボトルが生まれる時、私たちの中で、
新しい意識がより明らかになっていきます。
私たち一人一人の内側で何かが開かれつつあることを
それぞれの内側で明らかになりつつある何かをを
私たちは自分自身の内側からやってくる内なる声を
どのくらい信頼し、どれくらい許しているのでしょうか?
B107・大天使ツァフキエル誕生のメッセージに、こんな一節があります。
(※ブルーの斜体文字は、誕生のメッセージからの引用・抜粋です)
困難さが表面化され剥き出しにされたと感じる時、
実はそれらは癒されることを求めているのです。
・・・ 中略 ・・・
私たちが、ライオンハートを持つようになるにつれて、
困難や出来事や状況に抵抗するのではなく、それらを許す勇気をもつとき、
私たちはそれらを、新しい生命が出現する前に起きる
必要なエネルギーの収縮とみなすようになります。
ライオンハートとは、私たちの中心・奥深くにあるゴールドの存在・スターと関連します。
2010年1月1日、満月の月食(スペシャルな満月)からスタートしました。
1月15日は今年初めの新月、これまた日食というスペシャルな新月でした。
1月30日には、珍しいひと月2度目の満月を迎えます。
太陽の光は意識に関連し、闇を照らす月の光は無意識に関連します。
満ちた月『満月』はフルパワーで闇に光を投げかけます。
年頭に私たちが誓いを立てるように、いつも始まりに意図があるならば、
今年の始まりの空には『よりパワフルに闇(=無意識)を照らす月の光があった』
ということになるでしょう。
個人的に、また占星術的にも、2010年は月食というインパクトの強い始まりが
象徴するように、後に振り返ってみれば、自分の人生にとって、より印象的な年
となる地点かもしれません。
1月15日の新月のすぐ後、金星・木星がそれぞれ次のサインへお引越しました。
続いて20日には、太陽もやぎ座からみずがめ座へと移りました。
オーラソーマではサイン(星座)を色に置き換えます。
惑星が次のサインへお引越しすると、テーマが変わり、色が変わり、風が変わります。
毎月サイン(=テーマ)を変えていく太陽や、太陽に近い金星は、
私たちにとって、個人的な、より日常的・身近に感じられるテーマを扱います。
一年ごとにサインを移行する木星は、少し大きなスパンで、年間のテーマに関連し、
太陽から遠い惑星ほど、より大きな、より集合的な人類共通のテーマに関連します。
今回移行した惑星たちは、引越しと同時に、より外側の惑星・土星や、
一番遠い冥王星に関わりはじめました。
土星はきちんと向き合うべきもの・努力すべきものを目の前に差し出す、
厳しくやさしい真の愛の星。
一番遠い惑星・冥王星は軌道が大きく、とってもゆっくり動くので、
みんなに共通する、集合的なテーマ・大きな時代を象徴するテーマと関連します。
星の動きに関連させて最近の自分をかえりみると、
他者と関わる際の自分では氣づいていない無意識のクセ、思考や感情のパターン、
コントロールや葛藤などが、より意識に浮上してきているように感じます。
苦しみというよりは、「こんなにあったんだ」という驚きが先にやってきています。
苦しまずに、ただ見ることができるのは、オーラソーマを学んできた自分の、
大きな成果といえます。
今明らかになってきているものは、新ボトルの誕生にも関係しているように思います。
去年一年、『あらゆる状況の中で、いかにくつろぐことができるか』が
個人的テーマになっていましたが、年明けからのB107番ボトルとのワークが、
よりサポートになっているのでしょう。
新しいものが生まれてくる前に、自分のもつ古いパターンが理解される必要。
嫌うこと・押しやることではなく、ただ理解し、自分が意識的になることで、
これまで無意識だった古いパターンに振り回されることが少なくなるでしょう。
新しくなるための脱皮のとき。
この変化の中で、自分がどれだけくつろいでいられるだろう。
この葛藤の中にいる自分を、どれくらい許すことができるだろう。
許すこと・あるがままに認めることは、とても大きな変化を促します。
完全である必要はありません。
どんなに少しずつでも、どこにフォーカスしているかが、とても大切です。
私たちのもっとも貴重な生得権である愛それ自身を侵害する恐れや、不本意さ、
恥や、無価値観に対して、力む必要がなくなったときに自然に表現される
ビーイングの軽やかさの愛なのです。
(B107番 大天使ツァフキエル誕生 のメッセージより)
新しい在り方のためのチャンスが、今やってきていることを感じている今日この頃です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<葛藤>について思うこと。。。つれづれなるままに書いてみました。
それぞれの色にはそれぞれの葛藤があり、
それぞれの人にもそれぞれに葛藤があると思います。
「葛藤」 を辞書で調べてみました。
この言葉の由来は、字のごとく、葛(かずら)や藤のつるがもつれからむことから。
1.もつれ、いざこざ、悶着、あらそい
2.心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、
その選択に迷う状態。
簡単にいえば葛藤とは、自分の内側で何かと何かが闘っている状態なのです。
葛藤を『色』で表わせば、青 と赤 がまじりあったVioletといえるでしょう。
Yesの青 と Noの赤 内側で何かに NO! を言っている状態。
そして NO! を言っても、どうにもならない膠着状態。
相反するもの。思考の青 と 行動の赤
思考と感情、または行動のギャップかもしれません。
自分のことではなく、自分ではどうすることもできないことに、
思い煩っているときもあるでしょう。
どんなものであれ、葛藤=闘いながら、同時にくつろぐことは難しいでしょう。
そこに『ある』ものに、Noを言っても、変わりません。
どれだけ押しやろう、嫌っても、『ある』ものをなくすことはできないのです。
もし、その葛藤があることを許せるなら・・・
もし、その葛藤の中でもくつろいでいられるなら・・・
もし、その葛藤をきちんと見つめられるなら・・・
とても貴重な変容のチャンスとなります。
自分が何に対してNoを言っているのか。
自分が何にこだわっているのか。
「自分」だと思っている「自分」を越えていく。
古い概念や思い込み、アイデンティティを手放していく。
自分の中心に、真のくつろぎに向かうための、大きな成長のチャンスとなりえるでしょう。
私たちは何に対して『No!』を言い、押しやりたくなるのだろう?
自分自身のネガティビティ?
見たくない・向き合いたくない部分?
頭と心・思考と感情のギャップ?
何かがうまくできない自分?
ちゃんとしていない自分?
それとも、思い通りにならない目の前の現実?
言うことを聞かない相手に?
それとも・・・・・?
葛藤を感じるとき、いままでの私ならどうしていたでしょう?
落ち込んだり、イライラしたり、他のことでごまかそうとしたり、
なんとかコントロールしようとしたり。
自分が葛藤していることに氣づいたとき、
ちょっとだけ立ち止まり、ちょっとだけ深呼吸して、
自分が葛藤しているのを、すこし距離をおいて見てみませんか。
たとえば、紙に思いつくまま、考えなど書き出すのもいいでしょう。
左手で書きなぐるように色を塗り、ただ見つめるのもいいでしょう。
もちろんオーラソーマのボトルと向き合い、
ボトルとワークすることはとっても助けになります。
~~~ひそかに、ささやかにオーラソーマ・アピール(^_-)-☆
自分自身に意識的に向き合うための、あなたらしい方法を見つけてみてください。
葛藤している自分を許してしてみませんか?
葛藤している自分にくつろいでみませんか?
葛藤することはそんなに悪いことばかりでないかもしれません。(長引くとストレスになります)
自分の葛藤が思わぬチャンスをくれるかもしれません。
いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかという概念を超えて。。。
本当はどうしたいのか、本当に望んでいることはなんなのか、
これまでよりもはっきりと見えてくるかもしれません。
繰り返しますが、完全・完璧である必要はありません。
どんなに少しずつでも、どこにフォーカスするかによって変化します。
いつも、自分がどこにフォーカスしているかに氣づいていることは、とても大切です。
オーラソーマのコースの中で「混乱と友達になる」という話をしますが、
「葛藤とうまくつきあう」のも悪くはないかもしれません。
困難さが表面化され剥き出しにされたと感じる時、
実はそれらは癒されることを求めているのです。
・・・ 中略 ・・・
私たちが、ライオンハートを持つようになるにつれて、
困難や出来事や状況に抵抗するのではなく、それらを許す勇気をもつとき、
私たちはそれらを、新しい生命が出現する前に起きる
必要なエネルギーの収縮とみなすようになります。
・・・ 中略 ・・・
力む必要がなくなったときに自然に表現される、ビーイングの軽やかさの愛
こだわっていることを手放す・・・ことにこだわらないよう。
何かをすることに、つい力んでしまう自分自身に、ただ氣づけばいいのです。
葛(かずら)も藤のつるも、うまく編めばすてきなバスケットになります。
物は使いよう!! 葛藤は、やがては大きな器に成長するかもしれません。
ツァフキエルは、私たちの人生の選択において
どれだけハートに留意するかを決定する、
愛と真実への問いかけを表面にもたらします。
私たちは自分のすることを愛しているでしょうか
それとも自分の愛する以外のことをしているでしょうか
あるいは自分自身を愛していないために、
自分のすることに愛をもたらせないでいるでしょうか。
この一年が、さらなる輝きとくつろぎに向かう、記念すべき年になりますように☆彡
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